Scrap Book of District 11

備忘録とか

『他人の顔』を読みました

 

安部公房の作品を完読したのはこれで3作目。読み終えた後の衝撃でまだ頭が揺れています。

顔が爛れ落ちてしまった男が仮面を作る話です。

以下、ネタバレです。

自分が「化粧」という行為に対してぼんやりと考えていたことをズバッと言語化された気分で、目がチカチカしています。
自分には化粧を含めて「お出かけ用の装い」というのがあるのですが、それを纏った時、不意に「よそ行きのスイッチ」が入ります。その謎の切り替わりに自分自身でも驚いているのですが、まさに主人公が仮面を纏った時と纏っていない時の落差と同じような心持ちで(もちろん彼のような破廉恥さはないのですが)、「見た目」が心身に与える影響は大きいのだな、とこの小説を読んで改めて実感しました。それにしても自分が一時口癖にしていた「化粧をするとイケメンになれる」というのはある意味、的を得ている気がします。

昔々、大学の一般教養で「情報メディア論」なる講義を取ったのですが、その時も教授が同じようなことを言っていた覚えがあり。
「服装は表象である」、たしかそのような表現だった気がします。服装はその人が何者であるかのアイデンティティを表現する道具・手段の一つ…ということ。当時、その言葉を受けて、自分は「確かに、Tシャツにジーンズの時と、スーツを着ている時とでは気持ちが違う」と思った覚えもあります。

それだけ「見た目(服装)」は他人に与える影響が大きいし、自分を定義・再定義する際にも大きな役割を果たすということ。

 

自分が考えるに、主人公の男は、それを「顔」でやってのけただけで。
作中の顔が人に与える印象についての考察などはとても興味深かったです。

個人的に一番印象に残っているのは、中盤の男と「仮面」との言い争い。まるで自我が2つあるかのように繰り広げられる自己肯定と自己否定は妙に説得力がありました。後半、妻と逢引きする際にも同じように「自我の分裂」が起こっており、中々複雑な構図になっていました。

しかし、妻が仮面を見抜いていたのは、驚きでしたが、納得感もあり。(女性は日常的に「仮面」=「化粧」を纏っている…からだと思うのですが)。ましてや何年も連れ添った相手なら、多少見た目が変わっていたといえ、雰囲気やオーラのようなもので一瞬で分かると思うのですよね。

全てを失った後、男が仮面を再び纏い、自分を必死に再定義しようとする様子は、なんとも痛ましくて。

でもこういう「何もかもが無に帰す」終わり方も嫌いではないので、安部公房の小説を読むのは辞められないんですよね……。

 

次読むものは決めかねていて。
とりあえず、同著者の『無関係な死・時の崖』が手元にあるので、持ち歩き用の本はそれにしようと思います。

家で読む用の本は専門書が読み途中…。連休中に完読してしまおうか、悩んでいます。