言葉について。長いので畳んでおきます。
◆
昨日の晩、久々に元声優さんのマスターが切り盛りしている飲食店に立ち寄り、「日本語」について長々と話をしていた。
「一つのジャンル」のインプットしかしていないとどうしても語彙が偏ってしまうこと、最近の小説などに使われている日本語は幅が狭い傾向にあること、昔のコピーライターの仕事ぶりの工夫、昨今の出版・放送コードの厳しさの中でどう表現するか、などなど普段しない小難しい話をした。
自分は一応、漫画を自分の表現の主たる手段としているけれど、よく言われるのは「セリフは端的にわかりやすく短くすること」。今となっては漫画歴の方が段々と長くなってきたが、自分は元々、小説書きだ。それ故かセリフが比喩表現多めで回りくどく、長々としてしまう傾向にある。「セリフ長いよね」と指摘されることもままあるほど。
確かに漫画は絵と言葉、2つの手段で表現する形式だが、自分は言葉(セリフ)を紡ぐのが一番好きだ。言葉のリズム感、自分なりに工夫をした比喩表現、テンポの良さ、そんなものを意識しながらセリフを書いている。絵を主体で表現する漫画ももちろん良いものがあるけれど、私は同じくらい言葉は大切だと思っている。
あえて言えば、単純にリアリティラインを律儀に守る傾向にあるので、絵の表現に自分で制限をかけてしまう問題はあるが……。
◆
以前、音声訳をやっている祖母と「日本語の発音・イントネーション」について話をしたことがあった。「どこにアクセントを乗せるか(つまりどこを強調するか)、どこで区切るかにより、文章の印象が違う」と聞かせて教えてもらった時、確かに伝わり方がかなり違った。
「この花は白い花です」という単純なフレーズを例に出してみても、「この花は、白い花です」と発声する時と「この花は白い花です」、「この花は白い、花です」と発声する時では、全く伝わり方が違う。この場合は「花」を強調するか、「白い」を強調するか、どちらかが選択肢になる。
その時も「最近の日本語の語彙は狭まったわね」と祖母がポツリと溢した言葉を覚えている。
その最たる例が「ヤバい」という表現だろうな、と自分は思った。「ヤバい」という言葉が内包する意味は果てしなく広い。ネガティヴな意味合いでもポジティブな意味合いでも、何にでも使えてしまうから、確かに便利といえば便利だけれども、様々な意味合いが一つの言葉に一極集中してしまうことは、なかなか問題があるのではないかと思う。
◆
言葉を育む手取り早い手段は「昔の日本語」を読むこと、だと祖母は言っていた。芥川などの昔の作家の作品を読むことが、一番間違いがないそうだ。
それを意識してかは分からないが、自分が普段読む本は近代古典と称されるものが多い。単純に近代古典の作風が好きだというのもあるが、読んでいるとなんとなく落ち着く。
自分の中の表現力を育むためにも、読書中唸った表現があった場合、逐一メモをとっている。宝物を見つけた時のような気持ちになる。
だから自分は読書が好きだ。物語は自分が知らない世界を見せてくれるちょっとした冒険だから。最近集中力が保たないことが少しネックだが……。
そういう訳で、昨日新たに積んだ本のうちのどれかを課題図書として、この夏、完読を目指そうと思う。
もちろん、簡素でも良いので読書感想文をつけることを忘れずに。